本が読めない。
読みたい本は売るほどある、パラパラめくって読み始めるが途中でやめてしまう。
挙句の果て、一冊最後まで読むのは、図書館から借りてきて、返却期限のある子供向けの本だったりする。
組織を離れ、全部自分の時間なのに、ホームセンター巡りと不器用な大工仕事に精を出している毎日。これも自分のしたかった生業の一部なのか、今ひとつ実感のないまま1日が過ぎていく。
なんちゃって、反省は3秒。今日はオヤジの座るテーブルの天板塗装だい!
さて、どんなモンダイ。
目指していた「書影が映りこむ机」がちょっと実現。
でもこれ、ライトの当て方を工夫して相当脚色。ご神託には、塗りは薄く3回4回と重ねるのが重要とある、
1回目、ベニヤ板風
2回目、光ってきた!
と、少々塗りムラはあるもののここまでは順調。この後、水ヤスリをかけたら、垢こすりのような状態になって、塗りムラも却って目立つ感じ。ここで辛抱できず、文字どおり3回目の上塗りをして終了じゃい!!
安物のハケが悪いのか、もっと塗料を薄めた方がいいのか、油性のニスは素人には荷が重すぎるのか、単に塗り方が下手なだけなのか、まだまだ道は遠いようです。
さて、
本を読めない人にこの一冊
「本は読めないものだから心配するな」
菅 啓次郎 詩人にして大学教授である。
『いつか満月の夜、
不眠と焦燥に苦しむきみが
本を読めないこと
読んでも何も残らないことを
嘆くはめになったら、
このことばを思いだしてくれ。
本は読めないものだから心配するな。』 ー本文より
「本に『冊』と言う単位はない」すべてのテキストの一部なのだ、と、ありがちな小難しさがなく、優しく語ってくれる。この人の紀行文も詩人らしい視点で、時空を飛び回らせてくれる。 ただしこの人、本を主食にしている手練れの人でもある。